アンデス文明は世界遺産の宝庫。ここでは本展覧会で紹介する文明のにのうち世界遺産に登録されている遺跡を紹介します。また本展覧会では、この遺跡から出土した貴重な作品を展示します。

カラル遺跡

カラル文化(紀元前3000年頃から前2000年頃)

ペルー中央海岸のノルテ・チコ地方の4つの川の側にはたくさんの遺跡があります。その中でカラルはノルテ・チコの25以上ある都市遺跡のひとつで、0.6㎢の土地に、住居跡や半地下の円形広場、それに6個以上のピラミッドが整然と並びます。年代測定でこの都市も紀元前2600年より古い時代につくられていたことがわかりました。つまり、カラルの階段構造のピラミツド型建築物は古代エジプトの最初のピラミッドとほぼ同時期にできたことになります。
 今まで文明は農業によって生まれると思われてきました。ところがノルテ・チコの都市ではほとんど穀物が生産された跡は発見されていません。ただ、カラルの遺跡では大量のイワシの骨など海産物を食べた跡がみつかりました。ほかの遺跡でも同様です。農業は行われていましたが、めだつのは乾燥に強い綿の栽培です。綿は漁網をつくるのに使われていたのでしょう。カラルをはじめとするノルテ・チコの文明はこうした海産物を基礎にした都市文明だったらしいのです。これは農業が文明を育てたという思い込みにショックを与える発見でした。これから私たちが時間の旅に出るアンデス文明はそういう不思議なはじまり方をしました。

チャビン・デ・ワンタル遺跡

チャビン文化(紀元前1300年から前500年頃)

チャビン文化の中心、チャビン・デ・ワンタル遺跡。標高約3150mの谷間にたてられた神殿遺跡です。200m四方に石造の新神殿と旧神殿がたっていて、規模はそれほど大きくないのですが、独特なスタイルを生み出しました。神殿は翼を持ったネコ科動物、コンドルやワシ、ヘビなどの装飾で飾られています。旧神殿は半地下式の円形広場を囲むようにたてられ、地下中央部には、高さ4.5mの主神ランソン石碑がたっています。石の柱は雨を降らせる天と作物の恵みを与える大地をつなぐ役割を持っていると言われ、人々はこの石碑に祈りをささげたのでしょう。
また、この神殿を特徴づけているのは地下回廊と排水溝です。神殿を走る排水溝は近くをながれる川から水を引かれていて、激しく流れる水の音は、回廊に共鳴し、声がするように聞こえるというのです。チャビン・デ・ワンタルは、ある時期、広い範囲から人を集めた巡礼地だったと考える人もいます。

ナスカの地上絵

ナスカ文化(紀元前200年頃から紀元650年)

ナスカの地上絵-それは古代世界が残した最大の謎です。ペルーの首都リマから南へ440km、ペルー南部海岸の砂漢地帯に800㎢もの広さ(東京ドーム1万7千個分!)にわたって描かれている巨大な大地の絵画は、1930年代にアンデス山脈を越えて飛んだ南米最初の飛行士たちが発見して以来、解けない謎だと言われてきました。 地上絵には大きくわけてふたつの種類があります。ひとつは、サル(長さ80m)やクモ(長さ45m)、種類がはっきりとわからない植物などの動植物の絵。もうひとつが台形、三角形、ジグザグ線などの幾何学模様。その中には砂漢を15kmもの長さにわたってまっすぐ貫く途方もない長さの直線もあります。巨大すぎて地上からは、ひとつの絵の全体も見わたすこともむずかしいのです。空からしかはっきりと見えないこのような大きな絵を、いったいだれがいつどのような方法で描いたのでしょう。

ティワナク遺跡

ティワナク文化(紀元後500年頃から紀元後1100年頃)

ティワナクは標高3800m、富士山の頂上と同じぐらいの高原で栄えた文化です。世界でもっとも高い場所に花開いた高度な文化のひとつと言えるでしょう。みごとな石切り技術で有名な「太陽の門」をはじめとする石造建築物をつくり、その技術はインカ帝国に受け継がれました。チチカカ湖近くにあるティワナク遺跡でもっとも目立つのはアカパナと呼ばれる人工の丘です。縦横は200m、高さは17mで6階建てのマンションと同じくらいあります。アカパナの北にはカラササヤ、プトゥニと呼ばれる建造物が連なり、その一角に「太陽の門」として知られるティワナクでもっとも有名な石彫があります。門の上部にはティワナクの主神とされる正面を向いた神が刻まれています。頭飾りからいく筋もの光を放ち、両手に笏を持った姿から「杖の神」と呼ばれるこの神は、雷の神もしくは天空の神と解釈されています。その両脇には、背中に羽を生やした主神のミニチュアのような横向きの「鳥人」がいくつも刻まれています。これらと同様の図像がワリでも多く見られることから、ワリとティワナクは関係が深い文化だったのでしよう。

チャンチャン遺跡

チムー王国(紀元後1100年頃から紀元後1470頃)

日干レンガでつくられたチャンチャンの面積はおよそ20㎢、最盛期の人口は2万5000人と推定される整然とした計画都市です。最盛期のインカの首都クスコも及ばない古代アンデス文明最大の都市でした。チャンチャンの中心部には、高い壁に囲まれた「シウダデーラ」と呼ばれる、9つの区画が並んでいます。この9つの区画は9代の王のそれぞれがたてた王宮だという説があります。それぞれの区画には、王の行政室であったらしい「アウディエンシア」と、広場・倉庫・役所のある地区、さらに王の家来の住まいと思われる地区の3つの地区がありました。壁は魚や海鳥など海岸文化をモチーフにした浅浮彫りで飾られていました。首都チャンチャンはその壮大な規模と北海岸の富を象徴するものとして、マチュピチュ、ナス力、チャビン、ティワナク、それからインカの首都クスコなどのアンデス文明を代表する古代遺跡と並んで、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

クスコ

インカ帝国(紀元後15世紀早期から1572年頃)

クスコはスペインの侵略で滅びるまでインカ帝国の首都でした。現ペルーの南東にあるアンデス山脈中の標高3400mにあります。クスコとはケチュア語で「ヘソ」という意味でインカ帝国の中心となる都市であっただけでなく、国家宗教であった太陽神の神殿が祀られた精神的中心でもありました。また、インカ帝国の政治的な中心地であったのみならず、国家経済における物資の集積地としても重要でした。インカには首都クスコを中心として、各地を結ぶインカ網「インカ道」が張りめぐらされていました。インカ道は、定刻の4つの地方(タワンティン・スーユ)を縦横に結ぶ交通路でり、各地の農産物や織物などの物資の運搬を活性化させる動脈でした。また、首都クスコに続く全てのインカ道は、地方との関係を緊密にし、中央の権力が帝国の領内隅々にいきわたるシステムを支える重要な情報網でもありました。その他、クスコ周辺にはサクサイワマン、ケンコー、タンボマチャイ、モライ、ピサックなどの「聖なる谷」と呼ばれる遺跡があります。

マチュ・ピチュ

インカ帝国(紀元後15世紀早期から1572年頃)

1911年にアメリカ人の探検家ハイラム・ビンガムがマチュピチュを発見しました。クスコの北西約110km、ウルバンバ川の谷を下って行くと、マチュピチュ峰(標高3050メートル)とワイナピチュ峰(標高2700メートル)の影に身を隠すように築かれていました。総面積5000㎡で人が住んでいた居住区と宗教の施設があった宗教地区、それに山の斜面を切り開いた段々畑がある農業地区にわかれていることがわかりました。遺跡の中には水路が走り、南側にはアンデネスと呼ばれる段々畑が広がっています。北側には大きな広場や高官及び召使いの住居が並んでいるほか、太陽神殿を中心とした宗教施設が密集しています。天空都市とも呼ばれ未だ何のために作られた都市かは解明されていません。ここが、スペイン軍との戦いに備えた幻の要塞都市だったという説や祭祀に関連した宗教施設ではなかったかという説もありましたが、近年は王の離宮であったという説が有力です。