アンデス地域には、古代エジプトと同じくらい古い時代から文明があったと言われ、数々の個性的な地方文化が生まれました。
 巨石の文化ティワナク、広大な地上絵を描いたナスカ、マチュピチュを含む南北4000kmに及ぶ範囲を支配したインカ帝国。砂漠の海岸地帯から人が住む限界の高地まで、世界の他の文化に類をみない多様な環境の中で、アンデスの人々は、独自の文化を築き上げていきます。
 独創的な外見の土器を作り、黄金の製品や美しい織物の中にメッセージを織り込み、紐と結び目のキープと呼ばれる「記憶の道具」に彼らの歴史の秘密を隠しました。

中南米原産の野菜が世界の料理を変えた?

16世紀以前、朝鮮料理は辛くなかったしイタリア料理にトマトは使われなかった。トマト、トウガラシ、ジャガイモ、カボチャ、インゲンマメ、トウモロコシといった作物は、アンデスや中南米の農民たちが、古代以来、野草から選抜して大きな実がつくように育種したものなのだ。特にジャガイモは荒れた土地、寒冷な土地でも容易に育つため、ドイツをはじめ北ヨーロッパでは準主食のような扱いになった。19世紀のアイルランドのジャガイモ飢饉では、生活が立ち行かなくなった人々がアメリカ大陸に大挙移民した。歴史の皮肉といえるだろう。

なぜ「石の文明」と言われるのか?

アンデス文明は大きく山と海の文化に分かれる。海岸地帯の文化は神殿も日干しレンガ(アドベレンガ)で作るが、山の文化では石造りの巨大な建造物が目立つ。石は建築の素材としてだけではなく、神々の宿るワカ(神聖なもの)として崇拝もされ、インカでは「かみそり1枚」も通さない石造建築技術が発達した。本展覧会ではチャビン、ティワナク、ワリなどインカ以前の山の文化を紹介して「石の文明」の本質をさぐる。

地上絵は何のために描かれたのか?

長い間、地上絵が描かれた目的は解けない謎とされてきた。近年になって、地上絵の上にこの地では貴重なものとされる貝殻など、水に関する捧げものをともなう儀式の跡が発見された。これによって「地上絵=水の儀礼の祭祀場」説が有望な仮説となった。サル、クモ、ハチドリなど動物の地上絵は一筆書きで描かれており、水の儀礼の際に、この一筆書きの線を道に見立ててその上を歩いたのかもしれない。ナスカ文化が繁栄したペルー南海岸は降水が非常に少なく、過度に乾燥した環境である。水を得ることは人々にとって死活問題であっただろう。

車輪の謎 土器の謎

車輪を用いなかったアンデス文明では、運搬用の車輪だけではなく、陶芸で使う「ろくろ」のような回転する仕組みも使われなかった。ろくろを使う旧大陸では、陶磁器の形状はシンメトリーが主流になったが、アンデスでは手びねりや型を使ったため、動物や栽培植物、この世のものではない怪物や精霊など、まるで彫刻のような独創的な象形壺がつくりだされた。リアルな人物の顔の壺などは一種のポートレイトとして土器が使用された例なのかもしれない。

インカ帝国を準備したワリ文化?

紀元後650~1000年頃に繁栄したワリ文化は、インカ帝国の特徴とされるもののいくつかを、すでに発展させていた。アンデネスと呼ばれる巨大な段々畑やカパックニャン(「インカ道」)と呼ばれる道路網の一部はすでにワリの時代に使われていたらしい。他民族を武力で支配し広大な土地を統治した手法もインカ帝国のモデルになったのだろう。本展覧会では今まで日本であまり知られてこなかったこの文化の特徴を詳しく紹介する。

黄金文化を生み出したアンデス文明

インカ帝国最後の皇帝アタワルパがスペイン人に捕らえられたとき、幽閉された部屋を身代金の黄金で満たしたのはインカ滅亡にまつわる有名な話だ。インカだけではなく、それ以前の多くのアンデスの文化が膨大な黄金製品を生みだした。腐食しない黄金は永遠の生命の象徴として重んじられた。アンデスの黄金を使った装飾品の加工技術は目を見張るものがある。スペイン人はアンデスの黄金の美術品を根こそぎ略奪し鋳つぶしてスペイン本国に持ち帰った。

貨幣も市場もない文明?

アンデスには、スペイン植民地時代になるまで貨幣や市場がなかった。アンデスの人々は市場がない社会で必要な物を得るために工夫を凝らしていた。彼らはアンデス山脈の様々な高さの飛び地に人を送り込み、リャマの隊列を組んで飛び地から飛び地へ移動したのだろう。その高度と環境に応じた作物を作り、大規模な自給自足経済を営んだのもその一例だ。

文字がない?情報はどう記録されたのか?

インカを征服したスペイン人を困惑させたことのひとつは、高度に文明化されたインカに文字がないことだった。インカの記録技術で最も洗練されているのは、キープという、ひもに結び目をつくる方法だ。色、テクスチャー、素材など異なる紐に、さまざまな種類の結び目を作ることで、キープは単純な数量だけでない情報も記録できた。インカ王室の書記官はキープの記録と読み取りをマスターするため、クスコの学校で3年間特別な訓練を受けなければならなかった。この専門家たちは、キープを「読んで」、インカ王室の歴史をスペイン人に語って聞かせたというが、現在でもその完全な解読はできておらず、謎を残したままである。

アンデスの人々の「世界観」

アンデスの人々は「世界」をどのようにとらえていたか? アンデスの人々は、死とは何か、世界はどのような仕組みで、なぜ我々はここに生きているのかという、世界の成り立ちについてどのように考えていたのだろう。多彩な芸術作品を残したモチェ文化の土器を見ると、彼らは「人間」「自然」「死者」「神々」という4つの世界を認識していたようだ。とくにモチェの人々は死者との交流が密接であったようで、骸骨と生身の女性が交わっている土器など、死生観が垣間見える多数の土器が発見されている。

ミイラはなぜ作られたのか?

砂漠の広がるアンデスの海岸地帯では、エジプトよりも早く7千年前にはすでに意図的に加工したミイラがつくられていた。その後、この風習は広くアンデス社会に根付くことになったが、様々に加工されてミイラとなった人々は、ある文化ではコミュニティのメンバーとして扱われ、また別の文化では祖先崇拝の対象となっていた。加工の技法にもバリエーションがあり、ミイラを作るという伝統に様々な要素が加わって発展していったことがわかっている。