「Flying Postman Press」が独自の視点で見た古代アンデス文明を切り開く!
「Flying Postman Press」では10月号より全5回にわたり、「古代アンデス文明展」をピックアップ!地球の裏側のミステリーに溢れたアンデスの魅力を探る。 これを見ればもうあなたはアンデスの虜になる!?

2017年10月号
「通常の感覚を捨てるべし」

第1回目のテーマは「通常の感覚を捨てるべし」。まずは私たちとは違う感覚を知るところから、アンデスへの道をスタート。

▲とてつもない自然環境

まずは想像してもらいたい。新幹線で2時間もかからない東京〜名古屋間ほどの距離に、海岸があり砂漠があり、そこから標高は一気にあがり富士山2個分・6000m級の山脈、それを越えるとアマゾン川へ続く熱帯地域がある光景を。とても駅弁を食べていられる状況ではない。アンデスの自然環境は、世界中にある生態系が全部見つかると言ってよいほど超複雑なのだ。こうした世界中に類を見ない自然環境のもと、独自の個性的な文明は発展した。ちなみにこの激しい自然環境の中でも、山間部でよく見られる段々畑(アンデネス)がアンデスの由来。もちろん、南半球なので畑は北側に向いている。

▲私たち、恩恵を受けています

世界中で欠かせない食材のいくつかは、この特殊な自然環境のアンデスで発見された。トウモロコシにトマト、ジャガイモに唐辛子…。アンデスが発見されなければ、イタリアのトマトパスタも、韓国の唐辛子の効いたキムチも、おやつに欠かせないポテトチップスも存在しなかったと思うと、私たちはかなりその恩恵を受けていると実感する。アンデスの人々が作るジャガイモ畑には、様々な種類のジャガイモが植えられている。16世紀、初めてジャガイモに出会った旧大陸の人々は、この中でも美味しい品種のものだけ自国に持ち帰り栽培を始めた。しかしジャガイモは病気に大変弱く、ひとつが病気にかかると一気に広がってしまう。そうした特性からアンデスの人々は、ひとつの品種がダメになっても他で補えるよう様々な品種を育てていたのだ。19世紀のアイルランドでは歴史的な「ジャガイモ飢饉」で多くの人々の生活が立ち行かなくなった。

▲生死感の違い

切断された自分の首を自分で持っている、人身御供を描いた土器。ちょっと私たちには考えにくい状況だが、これにはアンデスの人々の生死感が反映されている。アンデスでは生きている人間の世界と並行して、死んだ人の世界が存在しており、死後もその生命は続くと考えられている。なんとなく永遠の生命を説く仏教にも通じる思想だが、その“実感度合い”はかなりリアル。読者の中には、若いうちは日本でしっかり働いて、老後は海外へ移住するぞと決意している人もいるかもしれないが、まさにそんな感覚。生きている時は日本、死んだら海外、というように“生活する世界を移すだけ”という感覚がしっかりしているのだ。この自分の首を捧げている彼も、恐怖心というよりは「いよいよ俺も死んだじいちゃんが住んでるところに引っ越すのか」という感覚の方が強かったのかもしれない。それほど、アンデスの人々にとって生と死は近いものなのだ。

2017年11月号
「驚愕!エキサイティングすぎるアンデス文明」

第2回目のテーマは「驚愕!エキサイティングなアンデス文明」。知れば知るほど驚き溢れるアンデスに注目!

▲シャーマンの交信

上の陽気な表情が特徴的な黄金の作品は、ネコ科動物の毛皮を模した儀式用の“ケープ“。アンデスではネコ科の動物、特にジャガーは神聖な存在とされていた。儀式ではシャーマンと呼ばれる人々がケープなどを被り、神や死者の世界と交信した内容を人々に伝えていたという。
下の4つ並んだ石像はシャーマンが交信を行うにあたって徐々にジャガーに近づいていく様子を表したもの。左端の像は穏やかな表情だが、右に移ると牙らしきものが生えてきており、鼻からは大量に鼻水が出ている。シャーマンは儀式にあたり幻覚草を食べたそうだが、この鼻水はその実際の症状を表しているというから彼らの健康状態が心配でならない。現代の私たちには許されないが、アンデスにおいて幻覚草は古代より薬や料理にも広く利用されてきたのだそう。もはや人間離れしたシャーマンのただならぬ変化に、当時の人々は恐れおののいたことだろう。

▼人からジャガーへの変化



▼アンデスの音響・照明・演出

ヨーロッパなどその他の地域では、古代においては宗教・神殿が社会の中で重要な位置を占めていたが、時代が進むにつれて政治の方が重要になっていく。一方、アンデスでは約3,000年もの間、高度な文化を生みつつも宗教・神殿が常に重要な存在であった。こちらは標高3,200mほどの高地にあるチャビン・デ・ワンダル遺跡。有名なパルテノン神殿などと比べると地味な印象を受けるかもしれないが、実はこれは地下神殿であり、現代の私たちも大好きな “体験型” の神殿なのだ。石造りの神殿内に広がるのは真っ暗な迷路状の通路。地下に流れる激しい川の音が暗闇に響き渡り、手探りで進む先に、ぼんやりと太陽光に照らされた巨大な細長い石像が現れる。バッチリな音響・照明・空間演出で際立つ石像の圧倒的な存在感は、現代の私たちでも震え上がるほど。ちなみに神殿の外壁にはさきほど見たシャーマン像が取り付けられており、神聖な表情で人々をお出迎えしてくれる。

▼まさかの外科手術

これは「穴が開いてしまった頭蓋骨」ではなく、なんと開頭術が行われた跡。穴の周辺の骨は再生が進んでおり、この頭蓋骨の持ち主は術後もしばらく生きていたことがわかる。開頭には黒曜石のナイフなどを使って骨表面を削り、穴を大きく広げていく方法をとったらしい。通常、これだけの穴を開けると、大量出血を招きかねないが、この術者はそれを回避して手術を成功させている。アンデス文明における発掘物からはこうした開頭術が行われた頭蓋骨が多く出土しており、アンデスの医学・解剖学が進んでいたことを示している。頭に穴を開けるなんて、現代の私たちでも戸惑うことだが、そんな大手術がまさかアンデス文明で行われていたとはかなり衝撃。展示ではこちらの頭蓋骨もやってくるので、まじまじとその技術をチェックしてもらいたい。

2017年12月号
「KAWAII ♡ アンデス」

第3回目のテーマは「KAWAII♡アンデス」。ともかくカワイイ、そんな作品が随所にお目見えする「古代アンデス文明展」。たくさんの作品の中から、“KAWAII作品”を年代順にピックアップ。

▲癒し

まずは紀元前3000〜1500年頃の祭祀センター・カラルからの出土品。帽子のようなものを被った小型の男性像は、ぜひ一緒にほうじ茶でも飲みたいような癒される風貌。ペリカンの骨で作られたという笛にはトリやネコ科動物などが描かれている。広大で、計画的に作られたことで知られる祭祀センターでは、音楽とまだ焼かれていない小型の人像を使う儀式が行われていたらしい。

▲つぶらな瞳

つぶらな瞳、邪気のない表情…。本展の中できらりと光るカワイさを見せるネズミ型象形鐙型土器は、紀元前1300〜500年頃に栄えたチャビン文化と重なる時代のもの。各地で独自の宗教観が芽生え、社会が複雑化していく中、チャビン文化はアンデスの広い範囲に影響を及ぼした。こちらも愛着のわく表情を見せる刺青(もしくはフェイスペイント)を施した小象は、腹部に開いた穴から空気を入れてオカリナとしても演奏できるという優れモノ。和やかな音が出そう。

▲キュートな骸骨&ポップなデザイン

一つの文化が広範囲に影響を与える時代と、地方独自の文化が栄える時代とを交互に繰り返すアンデス文明。紀元前200〜後750/800年頃には有名なナスカやモチェといった地方文化が栄えた。キュートな骸骨の土器はモチェ文化から。“死者も生き続ける”という世界観を反映したもので、生きている人と変わらず服を着て、狩りで仕留めたと思われるシカを背負っている。シカを手に入れた喜びが伝わってくるような一品。一方、現代のイラストにも通じるような図像が描かれた土器はナスカ文化から。ポップな女の子風に見えても描かれているのはあくまで生首というシュールさに、アンデスのスパイスが効いてます。ナスカ文化にはデザイン性に優れた土器がたくさん見られるので、ぜひチェックを。

▲愛くるしいネコ

政治や経済が動き出していった紀元前500〜後1375年頃は、政治的に大きな地域を統一した『帝国』が初めて登場する。そんな中でもKAWAIIは存在した。左下にあるのはネコ科動物をかたどった儀式用香炉。灰色で描かれた身体、黒と灰色の帯状のしっぽから、アンデスネコの可能性が高い。お時間がある方はぜひアンデスネコを調べてもらいたい。この香炉の愛くるしさはこのネコからきているのか…、と、実物も納得のカワイさ。

▲妖精?いえ、違います。

おとぎの国からやってきた妖精のようなカワイさは、これまで多くの人のハートを射抜いてきたにしてきたに違いない。ときめくってこんな気持ちだと再確認させてくれる一品は、強大な国家・シカン帝国のもの。シカン帝国からは、現代の技術を持ってしても製造が難しい、高度な金属製品が数多く出土している。こちらの装飾品でかたどられているのは妖精ではなく、儀式用の装束に身を包んだシカン王。右手に乾杯儀礼で使う器、左手にナイフ型の笏を掲げている。

▲ミニチュア

アンデス展にはミニチュアも登場。こちらはアンデス文明の最終盤に興ったチムー王国のもの。チェスの駒のようにも見えるが、死者を美しい織物で包んだ卵形のものを家臣たちが運んでいるところらしい。このように重要な人物が亡くなった際の葬送儀礼や行列を描写した作品は、他の文化でも多く見られるようだ。チムー王国の後半期から栄えたインカ帝国は世界で最も有名な帝国の一つだが、これを最後にアンデス文明はスペイン人によって1572年に幕を閉じることとなる。

2018年1月号
注目! アンデスの情報伝達システム

第4回目のテーマは「注目! アンデスの情報伝達システム」。他の文明では考えられない情報伝達システムも生み出したアンデスに注目。

▲脳をフル活用!

アンデスと聞くと空中都市・マチュピチュを思い浮かべる人も多いのでは? 高い山の峰の上に建てられた建築物の石積みは、カミソリの刃すら通す隙間がないと言われるほど精密。こんなハイレベルな建築物まで生み出した文明だが、なんと文字が存在しなかったらしい。そんな馬鹿な。文字がないなんて、情報をどのように記録するのだろう? 文字記述なしに情報を記録するためにアンデスの人々が編み出した解決法のひとつは、自身の体に備わる最高の情報処理システム・脳をフル活用すること。その方法はいたってシンプルで、記憶した情報を公の場で暗唱し、記憶力と暗唱を鍛えたという。実際に、このマチュピチュが属するインカ帝国の首都クスコには王族の歴史家がいて、伝記や王朝史を暗記することを仕事としていたようだ。

▲3Dの情報伝達システム!?「キープ」

さらに最も洗練されたアンデス流・情報の記録方法として、「キープ」というものがある。何本もの紐に結び目を作ることで情報を記録し、伝えることができるというツワモノだ。私たちからすると、ただの紐でできたオブジェにしか見えないのだが、そこに含まれる情報は驚くほど詳細。たとえば、貯蔵された品目、その量、産地、用途等々…。なんでも多くのキープは第一の紐=メインコードに、2次的・3次的な紐が取り付けられた階層構造を持つと言われているそう。情報を3Dに体系化・暗号化できるアンデスの人々は、頭の中でも情報が常に整理された、かなり頭のキレる人々だったに違いない。インカ王のキープ管理者は、キープを読み解くために、クスコにある学校で3年間も特別な訓練を受けなければいけなかったらしい。スペイン人たちが侵略してきた際も、このキープを“読んで”インカ王の歴史を語り聞かせたのだとか。

▲チャスキと呼ばれた飛脚

インカ帝国全土にはりめぐらされた道。そこには一定間隔でチャスキという飛脚が待機しており、キープをはじめ、様々なモノを迅速に運んだ。リレー方式で1日280kmは走破できたという彼ら。荷物の到着は法螺貝でお知らせしてくれる。

▲ビジュアルで伝える

その他にもアンデスにおいて情報伝達手段として利用されたものに、土器や織物などがある。神々の像や宗教的な儀礼の絵を描いたり、柄として織り込んだりしたものは、宗教教義を広めるための有効な手段であった。この鮮やかなマントは高位者のミイラ包で、遺体を幾重にもくるんでいたものの1枚。描かれているのは「空飛ぶ人間型神話的存在」で、人間の身体に鳥の翼がつき、王冠をかぶり、両手に鳥を持った姿をしている。複雑な宗教的世界観を見事にビジュアル化した一品だ。その左手にある土器はモチェの特定のエリートの姿を象ったもので、領地の範囲を示す一助として流通していたという。ちなみにこの土器が作られたモチェ文化では、エリートは一目見てその位の高さがわかるように耳飾りをつけていたようだが、この土器の人物は“肖像土器”を作ってもらうほどの人物であったにもかかわらず、耳飾り用の穴が開いていない。もしかすると彼はエリート一族出身ではなく、自力でエリートに上り詰めた風雲児だったのかも?

2018年2月号
MADE IN アンデス。ミイラの常識、教えます

最終回のテーマは「MADE IN アンデス。ミイラの常識、教えます」。怖いもの見たさで気になって仕方のない方も多いハズ、アンデスのミイラを掘り下げてご紹介。

▲図1 チンチョロのミイラの埋葬状態 Courtesy of National Council of Culture and the Arts ,chile

アンデスで最古のミイラを作った地域・チンチョロのミイラ。恐らく、ファミリーで埋葬された彼ら。埋葬の状況から、先祖を崇拝する目的でミイラが作られたと推測される。


「事件現場」ではなく、よくある景色

「え、事件…?」と思わず口にしてしまう、どうしても殺人現場にしか見えない図1だが、これはアンデスにおいてポピュラーなミイラのいる景色。世界的に見てもかなり乾燥しているアンデスの海岸地域では、死んだ人は放っておくとそのままミイラになってしまう。人が亡くなれば分解され土に帰るという認識の私たち日本人にとって、死んだ人が原型のまま残っている姿はかなり異質な感じがする。しかしアンデスの人にとっては、「ヒヨコは大きくなると鶏になる」のと同じくらい、「人は死んだらミイラになる」ことは当たり前だったのだろう。こうした環境下のため、アンデスでは古くからミイラを作る風習が発達した。「ミイラ」と言うと古代エジプトを思い浮かべる人も多いかもしれないが、実はエジプトで最古とされるミイラよりも、2,000年ほど早い前5,000年以前にはすでにアンデスで人工のミイラ(故意に作られたミイラ)が存在している。

▲左図2 《ミイラ》 ▲右《コンドル湖で発見されたチャチャボヤーインカ期のミイラ包み》

アンデスで最古のミイラを作った地域・チンチョロのミイラ。恐らく、ファミリーで埋葬された彼ら。埋葬の状況から、先祖を崇拝する目的でミイラが作られたと推測される。


ハイレベルなミイラ

夜中に見たら3日間は夢に出てきそうな図2のミイラ。やはり見慣れないその姿には、私たちとは違ったアンデス独自の世界観が漂っている。「今は日本にはいないけど、アメリカに住んでいる」くらいの実感を持って、死者は別の世界で生きていると考えられてきたアンデス。「今も別の世界で生きる人をミイラにする」と思うと、俄然ミイラ作りにも力が入ったに違いない。16-17世紀のスペイン人記録者たちの記述によると、後期ホライズンのインカ時代にはアンデスのエリートが人為的にミイラを作り、保存処理が施されたインカ王族の遺体、つまりミイラが神として崇拝されていたという。歴史家ガルシラソ・デ・ラ・ベガは「遺体には何ひとつおかしなところがなく、瀝青の一種を使って見事に保存されていたので、まるで生きているように見えた。目は黄金の布(薄板)で出来ており、あまりにもうまく合っているので、本物の目がないことに気付かないほどだ」と、そのクオリティの高さを記している。

▲左図3 《男児のミイラとその副葬品》 ペルー文化省・ミイラ研究所・チリバヤ博物館所蔵 ▲右《チリバヤ文化のミイラとその副葬品(女性幼児)》 ペルー文化省・ミイラ研究所・チリバヤ博物館所蔵


高待遇なミイラ

アンデスではミイラ自体がハイレベルなことに加え、その待遇もかなり良質。前述のインカ王族のミイラは、良質の衣服をまとい、なんと専属の従者までいて食事を与えるなどの世話をされていたのだそう。ミイラたちは時には神輿に乗って町を練り歩き、時には儀式にも参加。人々の訪問を受けたり、場合によっては拡大集団の一員とみなされたりして、現存する人々とまさに「共に」生活していたのだ。また、ミイラは“死後の生活”で必須アイテムとなる副葬品たちと一緒に埋葬されていることが多く、図3のミイラには土器などの他に、食料としてのテンジクネズミまできれいにミイラとなって埋葬されている。ここまで大切にされていたミイラが担い伝えていたのは、生と死の継続性という概念と、保存された遺体の中で続く霊の生活という概念。このような考えに基づく先祖崇拝は、社会のアイデンティティを保ち、先祖とのつながりを維持していたという。私たち日本人にとってももちろん、亡くなった人々は大切な存在だが、それがかなり具現化されて実感できるアンデスのミイラたち。今も“生きる”彼らに会いに、ぜひ展覧会へ足を運んでもらいたい。