序 章
アンデスへの人類到達
アンデス原産であるトマトやトウガラシ、ジャガイモなどの作物は世界の料理を変えたと言われている。このアンデスの特有な環境に、いつ、どのようにして人類は到達したのか?序章では、アンデスに人が定住するまでの長く、複雑な過程を最新科学から辿りつつ、アンデス地域のさまざまな環境を紹介する。
紀元前13000年~前3000年頃

第 1 章
アンデスの神殿と宗教の始まり
ペルーの首都リマから北に200kmほど離れた場所にある、世界遺産「カラル遺跡」。砂漠地帯であるカラルでは定住生活が始まった痕跡が見つかっており、祭祀センターが造られた社会組織が存在していたという。カラル遺跡は、本当にアンデス文明の起源なのだろうか?第1章では、アンデスでどのような神殿がいつ建造され、どのような宗教を持っていたのかを紹介する。
カラル文化(紀元前3000年頃~前2000年頃)
第 2 章
複雑な社会の始まり
数々の石造りの壮大な建造物で知られる古代アンデス文明。石の文明の始まりはどの時代からであったのか。ペルー北部山岳地域のチャビン文化では、石彫の神像や頭像などが見られ、その片鱗をみることができる。また、この時代は地域ごとに独特な宗教観が芽生え、社会の統一が始まっていった。第2章では、広範囲に影響を及ぼしたチャビン文化の宗教観や図像、そして社会構造を紹介する。
チャビン文化(紀元前1300年頃~前500年頃)
《テノンヘッド》
ペルー文化省・国立チャビン博物館所蔵
チャビン・デ・ワンタル神殿の壁に差し込まれていた石の頭像。幻覚植物を摂取して、幻覚の中で人からジャガー神に変化していく過程を描いているともいわれている。
《自身の首を切る人物の象形鐙型土器》
ペルー文化省・国立チャビン博物館所蔵
胴部で二股に分かれている注口がひとつになる形をしたアンデス文明に特徴的な土器。首が180度ねじれたありえない形になっている。生贄(いけにえ)の儀礼に関係あるのかもしれない。
第 3 章-1
さまざまな地方文化の始まり
アンデス文明では文字が発明されなかったため、土器の意匠が意思疎通のツールとなっていたと言われている。モチェ文化では、土器を通して人々が共有していた「神々」「死者」「自然」「人間」の4つの世界観を紹介する。地上絵で知られているナスカ文化では、社会構造が変化するほどの急激な環境変化を経験したことがわかっている。モチェ文化とナスカ文化、同時代の異なる地域でどのような文化が華ひらいたのかを探る。
ナスカ文化(紀元前200年頃~紀元650年頃)
《縄をかけられたラクダ科動物(リャマ?)が描かれた土製の皿》
ディダクティコ アントニーニ博物館所蔵
地上絵で有名なナスカだが、土器にもすぐれて芸術的なものが多い。適度に抽象化されているこの土器の絵もその一つ。ナスカの比較的初期のもの。
第 3 章-2
さまざまな地方文化の始まり
モチェ文化(紀元200年頃~750/800年頃)
《象嵌のマスク》
ペルー文化省・国立博物館所蔵
モチェ文化はペルー北海岸で繁栄したユニークな土器と華麗な黄金製品で有名な文化。欧米でもこの文化のファンは多い。牙が生えているのはアンデス文明の神の特徴の一つ。
第 4 章-1
地域を超えた政治システムの始まり
「太陽の門」をはじめとするティワナク文化の高度な石造建築技術や、同じ高地で共存していたワリ文化の時代から築かれ始めたインカ道(道路網)。そして、現在のペルーのシンボルにもなっている黄金の装飾品を生み出したシカン文化の金属加工技術。アンデスの各地が生み出した政治、経済、文化の体系は後にアンデス最大にして最後の帝国となるインカ帝国に受け継がれていった。第4章では、インカ帝国の基礎となった重要な文化を紹介する。
ティワナク文化(紀元500年頃~1100年頃)
《カラササヤで出土した金の儀式用装身具》
先コロンブス期貴金属博物館/ ボリビア ラパス市所蔵
ペルー北部海岸は黄金製品が潤沢なことで有名だったが、山の中の文化ティワナクにもこのような黄金製品があった。黄金は腐食しないため「永遠の生命」の象徴であった。
第 4 章-2
地域を超えた政治システムの始まり
ワリ文化(紀元650年頃~1000年頃)
《土製のリャマ像》
ペルー文化省・国立考古学人類学歴史学博物館所蔵
ラクダ科のリャマは運搬・織物のための採毛・食肉などの用途でアンデスにはか欠かせない家畜だ。この香炉の高さは約70センチもある大きなもの。
《つづれ織のチュニック》
ペルー文化省・国立考古学人類学歴史学博物館所蔵
アンデスは文字のない文明だったため、紙の代わりに織物がイメージを伝達するメデイアとして重要な役割を果した。また、織物は身分をあらわす重要な指標でもあった。
第 4 章-3
地域を超えた政治システムの始まり
シカン文化(紀元800年頃~1375年頃)
《ロロ神殿「西の墓」の中心被葬者の仮面》
ペルー文化省・国立シカン博物館所蔵
アンデスの多神教の風土の中で、シカンではこの仮面のような「アーモンド・アイ」をした「一神教的な」神が頻出する。仮面は支配者階級が神に変身するために使われたのだろう。表面には朱が塗られている。
第 5 章
最後の帝国―チムー王国とインカ帝国
文字を持たなかったアンデスの人々の思想や宗教観などの変遷は、長い年月をかけて発展してきた黄金や石像、土器、織物など、それぞれの文明の持つ特有のデザインを通して知ることができる。第5章では、アンデス文明の最後を飾った、チムー王国とインカ帝国という二つの勢力の覇権争いを描く。 そして,アンデス地域に南北4000キロにも及ぶ大帝国を築きながら、わずか168名のスペイン人の侵略によってあっけなく崩壊したインカ帝国の実像を紹介する。
チムー王国(紀元1100年頃~1470年頃)
インカ帝国(紀元15世紀早期~1572年)
《インカ帝国のチャチャポヤス地方で使われたキープ》
ペルー文化省・ミイラ研究所・レイメバンバ博物館所蔵
文字のないアンデス文明では、織物や家畜の数を紐(ひも)に結び目をつけて記録した。もっと複雑な情報が隠されているという説もあるが、まだ解読途上で謎の多い遺物だ。
第 6 章
身体から見たアンデス文明
人の身体も文化の所産である。身体に描かれた様々な意匠には、その文化の持つ特質が表れている。古代アンデス文明には、旧大陸には見られないミイラの文化が育った。インカの王は死後ミイラとなり、家臣にかしずかれながら生活していた。にわかには理解できないこの風習も、その起源や発展の様子を眺めると、人間の本質が見えてくる。本章では身体に表れた様々な加工の跡を概観し、アンデスの生病老死について考える。